映日堂

ままならない日々のこと

消えた5月のこと

わたしにとって今年の5月は存在しなかったに等しい。ひさしぶりにガッツリと調子を崩してしまって、寝込んでいる間に過ぎ去ってしまったから。

 

事の発端はゴールデンウィーク突入前に遡る。わたしは今年2月頃から躁鬱の治療を始めた。通院して自分に合う薬を探すなど試行錯誤の最中であるのだが、その薬の調整と調子の波がよくない重なり方をしたのか強烈な不安感に陥ってしまった。よく効いてくれた薬があったのだけど、同時に副作用も強く出て飲み続けられなくなってしまい、考えてもどうしようもないことなのにそのことでいろいろと無駄な妄想を繰り広げてしまったのである。せっかくの休暇なのにゴールデンウィーク中はずっと、夫とお出かけしている間も「どうしようどうしよう」などと不安を口にし続けてしまうような状態だった。

あまりにひどかったため、本来の通院日より早めのゴールデンウィーク明け初日に病院を訪れる。そこで不安の種であった薬との付き合い方について相談し、気持ち的にはひと段落がついた。

しかし、そこからが本番だった。診察が終わり安心したのか、がっくりと体調を崩して寝込んでしまったのである。この不調がここ数年を振り返っても1番と言っていいほどのひどさで、食べられない・眠れない・過緊張と3拍子揃ったどん底の状態となった。

最もつらかったのは食べられないことだった。食欲はあってお腹は鳴るのに食べ物が喉を通らない。ピアノの発表会前に緊張で喉がキュッとなるあの感じ。この時期はゼリー飲料やレトルト粥が命綱としてわたしを支えてくれた。

不眠と過緊張は、ゴールデンウィーク中の不安の名残ではないかと考えている。これがなかなか厄介で、自分の意思でどうにもならない部分で交感神経がビンビンになっている感じ。体は疲れて眠りたいのに頭がそれを許してくれない状態が長く続いた。そんなだから日中も起き上がるのがつらくて、長い時間を布団の上で過ごした。

 

今日までの間に数回の通院をし、薬を調整するなどして状況は改善していった。まず、不安感が軽減された。その後少しずつ食事も取れるようになっていき、起き上がって行動できる時間がつくれるようになった。

睡眠は少々しぶとくて、薬を使ってもうまく眠れなかったり、その割に日中は眠気が強く出てつらいときもある。それでも絶不調のときよりは眠ることができているからありがたいとは思っている。

 

わたしの5月はこうして消えていった。6月に入った今もまだ、完全復活とは言い難い。けれど寝込んだ直後を思うと随分マシになってきているし、そもそもわたしは躁鬱という長年の不調を治療している最中のため、何を持って「復活」と言えるか考えるとよくわからない。

ひとまず自分の中で区切りをつけたくて、こうして文章として残しておくことにした。