映日堂

ままならない日々のこと

煮詰まった行く末に

今、わたしは煮詰まっている。

この状況を人に説明するのはとても難しい。それでもこうなることは度々であるから、いい加減伝える努力をしてみようと思う。

 

端的に言うと、煮詰まっているときのわたしは四六時中「考えて」いる。しかし、何を? と問われると自分でもはっきりとわかっていない。それだけで厄介さがある程度は伝わるかと思う。

この状態のわたしは、しょっちゅうスマホのメモアプリに何か書き込んでいる。試しにここ数日のメモを見返してみると、その多くは大雑把にくくれば「何をするべきか」といった内容のものがほとんどだった。「積んでいるタスク」のように具体的なものから、「わたしのやりたいことってなんだろう」といった漠然としたものまで各種揃っている。

つまり、「行動」について「考えて」いる。しかし悲しいかな、いくら考えても行動したことにはならない。考えて考えて時間と体力をいくら消費しようとも、現実世界で行動を起こさない限りは成果はゼロのままだ。わたしはそれを痛いほど知っている。

だからわたしは今こうして文章を書いている。行動できたいない、すなわち成果が得られない状況からなんとか脱したくて、この状況自体を文章に書くという荒療治を行なっているのだ。

 

ええい、白状しよう。わたしは文章と絵で食っていきたいと思っている。でも、思っているだけでは永遠にその現実はやってこない。どんな駄文でも、どんな駄作でも、この世界に生み落とさないと存在すらしないのだから。

スマホメモの中にも、頻繁に「文章と絵を仕事にするには」「わたしにかける文章と絵とは」といった話題が出現している。しかしそれらはいくら考えても答えが出ることはなかった。むしろ考えれば考えるほど底なし沼に沈んでいくような感覚さえあった。

 

結局は、つくりながら考えるしか道はないのだ。手を動かさないとわからないことはたくさんある。少なくともわたしという人間は、煮詰まり切ってもおいしいジャムになることはなく、ただ焦げついてどうしようもなくなるだけなのだ。