映日堂

ままならない日々のこと

口に出して「楽しい」と言ってみる

わたしには持病の躁鬱がある。その影響で調子に大きな波がある。ここしばらく波が大荒れで、ぐわんぐわんと振り回される日々が続いていた。

そして今日、久しぶりに心も体も調子が良いと言える日だった。だがわたしは夫とドライブの車内で「今は調子が良いけどこれが続くことはない。どうせまたすぐしんどくなってしまう」とネガティブなことを考えてもいた。

 

いつもそう、しんどいときは「しんどい」と言う割に、元気なときはそれを享受できずにいた。

綱渡りしているみたい、としばしば考える。元気なときが綱の上になんとか立てている状態だとして、その危ういバランスはちょっとしたことですぐに崩れてしまいそうだと思う。実際にどうかは別として、調子が良いときのわたしは頭の中にそんなイメージを抱いている。

 

そんな思いをポロッと夫に吐露すると、こんな返事が返ってきた。

「そうじゃなくて、今楽しんだから楽しいって言いなよ。少しでも良い時間を過ごせてありがとう、なんじゃない?」

この言葉にハッとした。わたしはいつも楽しい時間を否定してきて、その存在自体を認めていなかったのだ。確かに存在する楽な時間を無視して、その時間にさえしんどさを作り出していた。

口に出して「楽しい」と言ってみた。そう言えることがうれしいと思った。

 

長年染みついた思考の癖はそう簡単に取れるものじゃないし、わたしの躁鬱の波が今日のこのやりとりを丸々さらっていってしまうかもしれない。いつものことだ。だけど今日を楽しく過ごせた事実は変わらずここにある。

夫が言った、「調子が良いときに楽しむこと、感謝することそれ自体が、何よりの薬になってると思うよ」。
それなら今日のわたしは、たくさんの薬を自分に与えられただろう。