映日堂

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3月9日に想う、レミオロメンのこと

先ほど、藤巻亮太が出演したラヴィット!を録画で観た。生放送で歌う藤巻を観て、こうして今も彼の歌う3月9日を聴けることを嬉しく思い、同時にそれがレミオロメンの3人による演奏ではないことに猛烈な寂しさを感じる。感情がぐちゃぐちゃになって、気づいたら涙が溢れていた。それくらい、わたしはレミオロメンというバンドに強い思いがある。

そのままの勢いで滑走路ライブのDVDを引っ張り出してきて、それを観ながらまた号泣している最中にこれを書いている。側から見れば相当やばいやつだ。当時のレミオロメンの勢いとか、豪雨からの奇跡的な開催による観客たちの熱とか、いろいろなものに当てられてギュッと胸を掴まれたような苦しい気持ちになる。

レミオロメンは、わたしの青春そのものと言っていい。小学5年生の時、大ヒットした楽曲「粉雪」でその存在を知ってから、ずっと1ファンとして追い続けてきた。レミオロメンがきっかけでバンドというものが好きになったし、そもそも「音楽を聴く」ことが趣味になったのも彼らを知ってからだった。

しかし今日、藤巻の歌声を聴いたのは実はひさしぶりのことだった。ファンとして 、特に3月9日は盛り上がるべき日なのはわかっている。でも、ここ数年はなんとなく逃げていた気がする。もちろんソロとしての藤巻亮太も応援してきたけれど、わたしはレミオロメンというバンドに対して強く執着しているようだった。

今日、現実を直視して「やっぱり好きだ」と再認識してしまった。でもそれは悪いことではなさそうだった。ソロとしての藤巻が歌う3月9日はわたしの心の深いところにスーッと降りてきて、わたしは彼、彼らから離れることはできないんだと悟った。1番はずっとレミオロメンなのだ。

彼らの魅力はたくさんあるけれど、特に好きなのは藤巻の書く詞だ。昔から歌詞カードを見ながら繰り返し聴いてきたけれど、今日改めて彼の書く詞の美しさに感動した。そう、美しいのだ。言葉ひとつひとつの選び方が本当に素敵で、情景や感情が優しく、切なく描写されている。大人になって自分でも言葉を紡ぐようになって、そのことが一層強く感じられるようになったことにも気づく。

みんな、今日をきっかけに 3月9日だけじゃなくて他の曲もぜひ聴いてみてくれ。ちょっと今、感情が昂りすぎてこの文章の着地点が見つけれれないまま終わりそうだが、とにかく「レミオロメンはいいぞ」ということが伝わればいい。後日冷静になってからちゃんとした布教記事でも書こうか。ありがとう、レミオロメン。これからもよろしく、藤巻亮太