「死が怖いか?」と問われたら、わたしは何と答えるだろう。そう考えたとき、自分は当たり前に「怖い」と返す気がする。
しかし、『死神の浮力』に登場するある人物は、「たぶん、怖くないです」と言う。
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娘を殺された山野辺夫妻が、その犯人でありながら無罪判決を受けた本城への復讐を企てるところから物語は始まる。
そこに現れるのが、死神の千葉。人間の死の可否を判定することが仕事である彼は、今回の担当である山野辺を調査するために夫妻と行動を共にすることとなる。
本城を追う山野辺夫妻と千葉の、1週間の話。
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山野辺夫妻には大事な一人娘・菜摘がいて、本城の手によって彼女を失ってしまった。
物語の中では、その悲しみ、つらさが折に触れて語られる。
わたしには子供がいなくて、正直に言うと最初は激しく悲しみ復讐に燃える山野辺夫妻にそこまで感情移入ができなかった。どこか人ごととして、それこそ人間の心の機微がわからない死神の千葉に近い視点で見ていたかもしれない。
しかし、作中で繰り返し語られる菜摘の記憶を夫妻と共にたどるうちに、気づいたときには山野辺たちの気持ちに自分が寄り添っていることに気づいた。
日常の中のささいなきっかけで思い出される菜摘の記憶。両親の出会いのきっかけを知り、それを真似て好きな子に使おうとする、そんな生前の微笑ましいエピソードを2人が思い出したとき、わたしも一緒にその光景を想像して、気づいたら涙が流れていた。
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もう1つ、印象的なエピソードがある。
山野辺の父が末期がんで最期を自宅で過ごす中で、山野辺に言った言葉が忘れられない。
「先に行って、怖くないことを確かめてくるよ」
p490
自分が死ぬことはもちろん、息子が死ぬことが怖いと言っていた父親。そんな怖がりな彼が、自分に死が迫る中で息子に言った言葉がこれだった。
陳腐だけれど、そこには大きな親の愛があると感じた。
死は人間なら誰でも怖い。それでも、こう言ってくれる親がいたら、どんなに心強いだろう。
この言葉には父親の強がりが多分に含まれているんだろう。でも、その強がりも含めて愛だとわたしは思う。
子どものために親ができるのは、先に体験してあげること。死もその例外ではなくて、だからわたしはこの父親の言葉に無償の愛を感じるし、先に行ってあげられなかった山野辺のつらさも痛いほど感じる。
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この小説を読んだわたしの答えは、変わらず「死は怖い」のままだ。
だけど、本作の中で人間や死神によって語られるさまざまな「死」に対しての考え方を読んでいると、死に対しての捉え方は人それぞれ、それでいいと感じた。
